すべての人がモビリティを享受するために
― 交通バリアフリーからはじまるまちづくりへの思い ―
(株)タナカコンサルタント
伊藤 優子
はじめに
1980年初夏、ストックホルム市役所の前庭から時折歓声が騰がっていました。その中心は、バスケットボールに興じる車椅子の青年達であり、それを取りまく応援団はシルバー世代のご夫婦や乳母車を押す若い婦人でした。また、街中では様々な障害のある方と出会いました。目を転ずると広い歩道、そして、歩車道を分離する自転車専用道路と低い縁石、更には、駐車場から駅ホームに直結するエレベータ、車体の低い公共交通機関等のパレードに私はすっかりに心を奪われてしまいました。
これが、交通バリアフリーと私との初めての出会いでした。
1.北欧の高齢化とバリアフリー
何故、平日にこんなに大勢の障害者や高齢者がまちのなかを闊歩しているのでしょうか。帰国後、真っ先に世界各国の障害者数の調査を行いました。各国の障害認定システムは異なっていましたが、けっして北欧のまちに障害者が多いわけではなかったのです。その当時、我が国では障害者はどこにいたのでしょうか。閉鎖的な社会環境と都市施設間の移動障害に起因するのか、街中に彼らの姿は見えなかったのです。
ただし、1980年にはスウェーデンの高齢化率が約17%であったのに対し、我が国は約8%と高齢化社会の入口に達したばかりであったことは見逃せません。(図-1参照)
北欧では、高齢社会にさしかかった1970年代から公共施設等の面的な移動を想定した住宅・道路・交通機関の整備が行われており、1977年にはスウェーデンの一般住宅もバリアフリーの対象となっていました。しかし、ストックホルム市は、まちづくりにおける施設のバリアフリー化が対処療法に過ぎないことを認識し、もっと根本的なバリアフリーにこだわり続けていたようです。
北欧でも核家族化は進んでいましたが、この街では保育園と老人ホームを一体化させるなど、様々な人達が交流できるような都市政策が施されていました。施設整備だけでなく、すべての人を受け入れるまちづくり・人づくりが行われた結果、高齢者や障害を持つ人々が街中に集う光景が生まれたのだと思います。考えると、あたりまえのことがあたりまえに行われていただけなのでしょう。
図―1 主要先進諸国の高齢化の推移
資料:総務庁統計局「国勢調査」厚生省国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」 (平成9年1月推計:中位推計)
2.これまでのまちづくりの視点
1980年以降、我が国の高齢化率は急激な伸びを見せ、2000年には世界最高水準の高齢化率となりました。
このように、高齢社会は確実に訪れました。しかも、短期間のうちに人口構成が変わったため、この変化を受け入れるための社会経済システムの整備を早急に進めていかなければならなくなったのです。
私は、1976年〜1983年にかけて鉄道の連続立体交差化事業に携わる経験をしました。連続立体交差化は分断化された市街地の一体化、高架下利用を含む駅前広場の整備、周辺市街地の再開発事業にまでに発展する波及効果の高い事業です。当時、まちづくりと鉄道計画は担当省庁が異なり、その事業化に当たっては、自治体・建設省VS鉄道事業者・運輸省の構図が明確にされていました。
そして、この種の事業には鉄道事業者の交通弱者対策が義務付けられており、駅舎にエレベータ・スロープ・手すりを設置するのが常套手段でした。ホームからコンコース・駅前広場までの動線計画を考慮しても、鉄道計画のテリトリーから外れる道路には段差があり、モビリティなまちづくりには程遠いものでした。このような点と点を繋ぐ施設整備の手法では、ここもだめ、あそこもだめの減点型の事業採択にしか結びつきません。
そのため、私は公共交通機関をまちづくりの中でトータルデザインし、マネージメントする視点が必要と感じていました。
このように、当時我が国には、街中を様々な人が行き来する都市空間は存在しなかったのです。行きたいところに行くためのモビリティの確保は、まちづくりの必要条件です。改めて振り返ると、1981年の国際障害者年を控えた北欧のまちでは、当然の準備がなされていたのだと思います。
国際障害者年を契機に障害者の心のケア、社会参加、施設整備が進み、障害者用トイレ・スロープ・手すり・エレベータの設置は徐々に我が国でも市民権を得て、バリアフリーは一層身近なテーマとなってきています。
3.時代の寵児バリアフリーに思うこと
バリアフリーが登場したのは、1974年国連障害者生活環境専門家会議報告書「バリアフリー・デザイン」からです。バリアの概念を整理すると物理的、社会・制度的、情報・文化的、心理的の4種類に分類することができます。
物理的なバリアの除去は私達技術者が得意とする分野ですが、それだけでは問題は解決しません。物理的なバリアフリーを効率的に運用するには、社会の変革や制度の改革も避けて通れない課題といえます。最も、解決困難なのは心理的なバリアだと思います。仲間として受け入れない、理解しない、関心を持たない、接触の機会を持たない等のバリアは心の中にあるのではないでしょうか。ハードでは乗り越えられないバリアも存在することに留意しなければならないと考えます。
我が国も高齢社会に突入し、市民はバリアフリーを障害者だけではなく、やっと自分自身の問題として捉えることができるようになりました。そして、社会全体としてバリアフリーを考えなければならない時代になり、福祉インフラ整備という観点から都市基盤・施設等の整備を進めて行かなければならないことに気づいたのです。
そこで、我が国のバリアフリーの事例を紹介します。
<おばあちゃんの原宿>
とげ抜き地蔵で有名な東京都豊島区巣鴨の「巣鴨地蔵通り商店街」は、「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれる高齢者に人気のある商店街です。高岩寺とげ抜き地蔵のご利益が、この賑わいの要因であることは言うまでもありませんが、どうもそれだけではないようです。JR巣鴨駅からお地蔵さまに続く商店街の賑わいにも要因があるようです。商店主が店先まで出てきて、おばあちゃんの腰に手を添えながら、店内に招き入れている様子を目にしました。また、延長780m、道路幅員8mの両側に190店舗が軒を連ねる通りでは、その車道と歩道の段差には60*120のスチール版が立掛けられ、店の前には家庭で使い古したような椅子が並んでいました。そんなにお急ぎにならず、ちょっとお休み下さいというように……。
この商店街で見たものは、お世辞にもきれいといえない椅子とスチール版、「お気軽にどうぞ」のトイレ案内、それに人懐こい笑顔と会話です。
なんだそんな事と思われるかもしれませんが、これこそバリアフリーではありませんか。おばあちゃんの原宿、この賑わいが実証しています。
<身の回りから始まるバリアフリー>
JR千歳駅ホーム中央に陣取るエレベータを利用されたことがありますか。通常、車椅子でエレベーターに乗り込むと降りるまでに180度回転しなければなりません。ところが、このエレベーターには入口と出口の扉があるため、回転する必要がなく、車椅子の動線が一本化されているのです。1998年頃から、北海道でも目にするようになった施設です。
次に、公共施設を利用するとき、障害者用のトイレをちょっとのぞいて見ましょう。段差はありませんか、扉は一人で開閉できますか、車椅子は室内で回転できますか、高さは適当ですか、自分自身の目で確かめることが大切です。既存の施設でも、便座の向きを変えたり、重い1枚扉をアコーディオンカーテンにするだけで、バリアフリーはぐっと身近なものとなるはずです。
昨年は、国際障害者年20周年を記念するイベントが各地で開催されました。苫小牧市では、20年続いた障害者だけのお祭りの会場を、空洞化の進む中心市街地に移しました。商店街はこの日のためにバリアチェックをし、市民をここに集めました。商店街が自ら働きかけたバリアフリーです。商店街のお祭りとドッキングさせたイベントは、雨天にも関わらず例年2000人の集客を3500人にまで伸ばし、中心街にも久々の賑わいが戻りました。
<交通バリアフリー法の誕生>
1994年、「高齢者、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築促進に関する法律(通称ハートビル法)」が策定されました。同法により、住宅建築もバリアの排除に取組み、建設業界にユニバーサルデザインが取り入れられるようになりました。
遅れて2000年5月「高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律 (通称交通バリアフリー法)」が施行されました。本法は、公共交通事業者にだけに課せられた法律ではなく、市町村が策定する移動円滑化基本構想の中で定められる重点整備地区においても、重点的・一体的にバリアフリーのまちづくりを推進することが謳われています。
まちづくりと交通システムがやっと一体化されたのです。
4.DPI世界会議札幌大会に期待すること
2002年10月11日〜20日、札幌市きたえーるで第6回DPI(障害のある人々の国際連帯組織)世界会議が開催され、100ヶ国、約2000人の障害者の参加が見込まれています。
この大会の目的は、参加する国内外の障害者と市民との交流を促進し、併せて、障害者に対する正しい理解の推進、バリアフリーでユニバーサルなまちづくりや環境の整備促進、及びノーマライゼーション理念の普及を図ることです。
前年開催国メキシコでは、大会のために3千箇所のスロープを設置したとの報告もあります。
これに先立ち、玄関口となる新千歳空港ターミナル、JR札幌駅等でモビリティの検証が行われました。その結果、ターミナルではエレベータまでの連続性が悪く、設置基数も1台しかないことが確認されました。また、JR札幌駅では、地下鉄南北線札幌駅までの階段が車椅子移動を妨げ、地下鉄東豊線へは直接アクセスできずに、デパートのエレベータを利用しなければならない状況が確認されました。
車椅子利用者にとって段差は命取りです。最小タイヤ半径(6cm)の1/3、つまり2cmの段差が自力で乗越えられる限界といわれています。一方、視覚障害者にとってこの2cmは車道と歩道の境界を認知する唯一の手段です。窪地にして両者に対応することも可能ですが、この窪みを維持管理することが必要となってきます。このように、バリアフリーには多様性があります。
また、この大会のバリアはモビリティを必要とする身体的なものだけではなく、世界大会としての言語の問題も考えられます。更に、転落防止等の安全配慮について、交通動線について、盲導犬を受け入れる飲食店はあるのか等々検証事項は山積しています。
しかし、忽然と大会関係者4000人が札幌のまちに現れるわけではありません。2002年の札幌市には障害者だけではなく、36万人の高齢者(180万人*高齢化率20%)が交通弱者として待機しているという現実も見逃がせません。
開催期間の10日間を乗り切り、会場へのアクセスを確保すれば良しとするのではなく、これをリーディング事業として、札幌市がバリアフリーの先進都市となることも可能なのです。コスト・波及効果も含めて一過性の事業と位置付けず、札幌市の政策として進めていただきたいと思います。
おわりに
すべての人にモビリティの確保を!まちづくりと交通システムは車の両輪であり、その「まち」に相応しい便利な交通が「まち」に繁栄をもたらします。どちらが欠けても快適な都市空間は誕生しないでしょう。
交通施策に対して、障害者から「障害は人それぞれ異なる。ユニバーサルデザインはありえない。私が欲しいのはスペシャルトランスポートサービス。」という発言がありました。これは、障害の多様性を認識することなく、一律の施設整備を行ってきたこれまでの計画に対する警鐘といえます。バリアをバリアと認識する人自らが参画することで、この明確な発言がはじめて施策に活きてくるのではないでしょうか。
また、北海道には冬期間の交通確保という大きな問題があります。雪面下の誘導ブロック、歩車道に跨る推雪、公共交通機関の定時性確保、バス停留所の確保等は、施設整備計画と情報化によってクリアして行かなければならないと考えます。地理情報と都市空間データを組み合わせたGISや歩行者ITS等の活用も、次世代のバリアフリーの範囲を広げ、すべての人が等しくモビリティを享受できるノーマライゼーション社会の実現に大きな威力となるのではないでしょうか。
20年前のストックホルム市での鮮烈なカルチャーショックが、今も蘇えります。高齢化が進み、市民の意識にも変化はみられますが、交通バリアフリー法の施行により、交通システムは20年前の北欧のまちに追いつくことができるのでしょうか。いつか、北海道でこの思いと願いを実現することが、まちづくりと交通計画に対する私の夢なのです。
以上
<DPI紹介>
DPIの理念は「すべての人々は等しく価値ある存在であり、すべての人々が尊重される社会の実現」であって、差別の根源を絶つことにあるといわれています。更には、「これ以上障害者をつくってはならない」という考え方も大きな比重を持っています。優生学的な締め付けではなく、貧困・戦争・事故を絶とうということです。そして、違いを受け入れる文化・教育の創造を訴えています。こうしたなかで開催される世界会議は、4年に1度開かれる「ハートのオリンピック」とも呼ばれています。
私の言葉の足りないところは下記のHPを参照して下さい。
DPI世界会議札幌大会ホームページ |